女子自転車競技で生物学的男性のトランスジェンダー選手が優勝したLGBT問題について

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今回は問題が多発しているスポーツとLGBT問題について触れます。今回はあえて画像を載せていません。

女子サイクルロードレース「ツール・ド・ジラ・ウィメンズ」やアメリカの女子シクロクロス、先日のアメリカのグラベルレース「ベルギーワッフルライド」で、肉体は男性だが心は女性という、いわゆるトランスジェンダーと呼ばれる選手が出場し優勝しました。

この件について、女子選手の関係者からは別カテゴリーを設けるようにとの声が上がっていますが、日本国内で競技に関係する人たちからは、問題視するような意見はあまり出ていないようです。
私は特別競技に関わっているわけではないですが、これは明確に間違いだと言いたいです。

もしかしたら、日本国内では実感がなく、海外で馬鹿な事やってるなくらいに思っているのかもしれませんが、LGBT理解増進法案が衆議院を通過したことからも、無関係ではありません。
そもそも、すでにこれらの問題が起きているレースはUCI公式のもので、選手として成功するために、数少ないパイを取り合う日本の女性選手にとっても大きな問題です。

LGBTとスポーツの問題点

まず問題点を整理します。

もともと男性だった人が女子レースに参加する可能性としては大きく分けると2つあります。
1.性転換手術を行い、性ホルモンを調整し見かけ上も女性の場合
2.身体は男性のまま、自分は女性だと主張する、いわゆる性自認の場合

次に、スポーツにおいてなぜ女性と男性が分かれているのかについて。
これは誰でもわかる通り、肉体的特徴が異なり、男性の方が優位になる場合がほとんどだからです。

歴史的に見ると、古代オリンピックは女人禁制ですが、近代オリンピックにおいては1900年のパリオリンピックに初めて女子部門の競技がゴルフに設けられました。女子陸上競技は1928年のアムステルダムオリンピックからです。
ちなみに自転車競技においては、ロードレースは1984年のロサンゼルス、トラックは1988年のソウルで初めて女子部門が設けられました。
長い歴史を経て女子スポーツの規模が徐々に拡大してきたことが分かります。

多くのスポーツが男性と女性で分けているスポーツとしての公平性を担保することと、選手の安全を守るためです。
競技によっては性別だけでなく体重で分けることもあります。
これらは全て競技性と安全面によって決められたものです。

テストステロンの値による線引きでもダメな理由

今回、UCIはテストステロンの値によって肉体的な男性が女子競技に参加することを認めました。
テストステロンとは、男性ホルモンのなかでも筋肉や骨格の構成に大きく影響するホルモンで、これによって男性は女性より筋肉質で大きな骨格になります。

このテストステロンの値で線引きしたということですが、私はそれでもダメだと考えます。
当然ですが、人間の肉体が性別によってそれぞれ大きく変化するのは思春期です。
この時期にホルモン的にどちらの性別で過ごしたかでその後の骨格に大きな影響を与えます。
骨格が出来上がったあとにテストステロンの値を測って女子競技に出てOKなんて、そんな馬鹿な話はありません。
この件に苦言を呈した女性選手は引退に追い込まれました。

女性を自認するオースティン・キリップスが女子レースで獲得した優勝賞金

さらにいうと、競技の結果だけでなく、賞金という問題もあります。
例えば女性を自認する肉体は男性のオースティン・キリップスが、2位の女性選手に5分以上差をつけて優勝したUCI公式レース「ベルギーワッフルライド」の優勝賞金は5,000$(日本円で約70万円)です。
2位の女子選手は「パワーが違いすぎる」とコメントしています。

さらにこのオースティン・キリップスは「ツール・ド・ジラ・ウィメンズ」でも総合優勝をしており、
その賞金はなんと35,000$(日本円で約480万円)。

これらの賞金やタイトルは、本来は女性として生まれて競技を頑張ってきた人たちが、その人たちによる土俵で争って獲得するはずだったものです。
これを身体が男性の人間が獲得してしまえば、どうやって女性選手が活躍し、女子スポーツが発展しましょうか。

この動きが広がっていく方向であれば、女性競技は大きく衰退するでしょう。

まとめ

世界陸上競技連盟は4月から、思春期に男性として過ごした場合は、テストステロンの値に関わらず女子競技への参加は禁止しました。
5月にはイギリス自転車連盟も同じく女子競技への参加を禁止しました。
トランスジェンダーによる別カテゴリーを設けるように動くスポーツもあります。
女子競技の公平性を守るため、当然の差配だと思います。

それだとトランスジェンダーの活躍の場が減ると言われるかもしれません。
しかし、今まで女子選手は活躍の場が少ないながらも、徐々に発展してきました。
女子に限らずマイナースポーツの選手や関係者もみな同様で、努力によって今の活躍の場を勝ち得てきたのです。
この道を歩まなければいけないのです。そのサポートはされるべきかもしれませんが、決して女性選手が築き上げた活躍の場を奪っていいものではありません。

昨年女性版のツールドフランスが33年ぶりに開催され、ようやく女子サイクルロードレースが盛り上がってきたところです。
観戦している我々からすればスポーツはただの娯楽かもしれませんが、やっている本人達にとっては生活がかかっており、人生そのものといえます。
女性競技を守るためにも、特に競技に関わる人間は声を上げなくてはいけないでしょう。

スポーツという土俵では、競技としての公平性を担保することが大前提です。
心の問題や性の問題に取り組むことは重要です。
しかし、それによって競技の公平性という土台を侵食することは、すなわちスポーツを破壊するということを意味します。
それは絶対に許されません。

(おまけ)女子選手のドーピングについて

オリンピックと女子選手という歴史を語るうえで、ドーピング問題は避けて通れない問題です。

とくに東ドイツやソビエト連邦といった旧共産主義国家に多く、女子陸上や水泳などを席巻した時代がありました。

近年でもロシアや中国の女子選手でドーピングが発覚する問題が起きています。
これらは国家によって環境が整備され、国家から報酬を受ける、いわゆるステート・アマの疑いがもたれています。
薬物によって男性ホルモンの分泌が進んだ結果、髭や体毛が生え、顔立ちも男のようになってしまった女子選手の写真が衝撃的でした。

これらは女性として生まれ、女性の骨格を持つ人に男性ホルモンの分泌を促進させるというものですが、今回の問題はそもそも生まれも育ちも男性で、男性としての骨格を持つ人が、のちにホルモンバランスを調整する、もしくは女性だと自認するというものです。

競技の公平性という観点からすると、とんでもない違反からとんでもない屁理屈に変わったというように見えます。

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